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注目

東京都立美術館「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」

 2026年4月12日まで開催中の、 東京都美術館開館100周年記念「スウェーデン絵画」展 へ遅ればせながら行ってまいりました。スウェーデンの国民的絵画ともいえる珠玉の名作が勢揃いしています。この後、山口、愛知への巡回します。 スウェーデン絵画、というこの展覧会での表現は年代的に1880年〜つまり19世紀末〜20世紀初頭にかけての絵画をさしているようです。フランスで学んだスェーデンの作家が帰国してフランス近代絵画の影響をスウェーデン風に発展していった時代といえます。 日本で言えば明治時代 です。西洋画の導入がされ出した時代です。 高橋由一の「鮭」 は1975年〜79年ごろに描かれた作品でまさに本展と同時代です。 さて、下の絵画はスウェーデンの国民的作家 カール・ラーション (Carl Larsson、1853- 1919) の『カードゲームの支度』 です。作家の日常を描いた作品ですが、 実は画題として「斬新さ」がありました 。この時代のスウェーデンでは子供と大人は完全に分離された空間で生活するのが常識であったのに、ここでは子供が同じ食卓についています。子供であるからと言って区別せずに、子供の自主性や人格を重んじて育てたそうです。 カール・ラーション『 カードゲームの支度 』1901年 カール・ラーション『おもちゃのある部屋の隅』1887年 どれもラーションの作品は「親密さ」にあふれた幸せな日常生活の1コマを描いていますが、ラーションは貧しい家庭で苦労して育ち、絵画の才能で幸せを掴んだ人で、これらの絵画には彼が欲しかった理想の生活が詰まっている・・そう思わせる作品ばかりでした。 さて、 ハンナ・パウリの1892 年の作品『グランドピアノにて』 です。この時代に活躍し人気を博していた女性作家が存在したというのは日本と違う点でしょうか。ハンナはこの展覧会でも紹介されていたイエーオリ・パウリと夫婦で画家でした。二人とも対等な立場で作家生活を送ったとか。 ハンナ・パウリ『グランドピアノにて』1892年 室内の柔らかい、淡い光の表現が見事な作品が多かったように思います。北欧の光を思わせて想像が膨らみます。 さて、筆者がポストカードを購入したのは下の写真の作品でした。アンデシュ・ソーンの『編み物をするダーラナの少女 コール=マルギット』1901年です。 アンデシュ・ソーン...

オットー・ワーグナーのマジョリカハウスとメダイヨン館へ

(こちらの記事は旧ブログ:ロバと鳥の家、に掲載したものです)
実は、ウィーンについて最初に見たのが、ゼセッションではなく、このオットー・ワーグナー(ヴァーグナー)Otto Wagner設計のマジョリカハウスとメダイヨン館(1898−99に建設された)でした。現在も居住者がいる集合住宅です。

マジョリカハウス

マジョリカハウスは、アールーヌーボー風の絵が描かれています。オットー・ワーグナーって、、、ウィーン工房じゃなかったっけ?と、違います!覚え違いをしていました。クリムトが提唱した分離派に参加して、アールヌーボー調の建築物を建てだすも、クリムトと共に離脱し、近代建築的な合理的な空間作りへと転換していったそうです。

ちょっと頭の中の整頓が必要でした。。旅行前にこういうところをもっと復習しておけばよかったのですが・・

ということで、ちょっと分離派やウィーン工房界隈主なメンバーとざっとしたまとめを。生まれた順番に並べました。

●は分離派に参加
○はウィーン工房に参加
●○は上記の両方に参加

●オットー・ワーグナー(ヴァーグナー)Otto Wagner 1841-1918
専門:都市計画/建築 分離派に参加、たった2年で脱退。
「芸術は必要にのみ従う」(Artis sola domina necessitas)を提唱。装飾的なアールヌーボー調建築から出発し、合理性を重んじる近代建築へ転換、現在も彼の立てた建築物や地下鉄駅は使用されている。

●グスタフ・クリムト Gustav Klimt 1862 - 1918
ウィーン大学に納めた自身の壁画への批判事件の後、保守的なウィーンの美術界に対抗し、分離派を立ち上げ、ウィーンのモダンデザインへの道を開いた。

●ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ Joseph Maria Olbrich 1867- 1908
建築家。ワグナーの教え子。分離派に参加し、1898完成の分離派会館を設計する。41歳で早逝する。

○コロマン・モーザー Koloman Moser 1868 - 1918
本の装丁から家具デザインまでマルチに才能を発揮したデザイナー/画家。
ウィーン分離派に参加。ウィーン工房にをホフマンと共に設立。オットー・ワーグナーに好かれ、メダイヨン館の金色のレリーフを作ったり、アム・シュタインホーフ教会のステンドグラスや祭壇などを制作した。50歳の若さで亡くなる。今回の旅で、新たに好きになった作家がコロマンでした。

○●ヨーゼフ・ホフマン Josef Franz Maria Hoffmann  1870 - 1956 チェコ出身。ウィーン造形芸術アカデミー卒業。ワーグナーによりヨゼフ・マリア・オルブリッヒと知り合う。クリムト、オルブリッヒ、ホフマンは1897年にウィーン分離派を共に立ち上げ、分離派会館の内装を手がける。クリムト、ワーグナーはわずか2年で脱退したが、ホフマンは1905年まで脱退せず。1903年、コローマン・モーザと共にデザイン会社である、「ウィーン工房」を設立。彼らが手がけたブリュッセルの「ストックレー邸」は世界遺産。1932年に経営破綻ののち解散。

アドルフ・ロース Adolf Loos 1870 - 1933 チェコ出身
建築家。ドイツで学ぶ。ウィーンで活躍。ワグナーに薫陶を受け、建築は合理性を重んじるべきとし、「装飾は罪」と断言、装飾性は文化の低さを体現するものとし、分離派とウィーン工房を徹底攻撃した。自身の建築物が多くウィーン市内に残されており、現役で使われておりましたが、とりわけ「ロースハウス」は物議をかもしたそうです。ウィーンでまず見たいと思っていた建築物の1つが、実はこのロースの建物でした。このブログでも特集予定ですが、思ったより室内装飾は、装飾的でした。

1918年に3名も亡くなってますね・・これは全員スペイン風邪で亡くなったのでしょうか。オットー・ワーグナーの影響力たるやすごかったのですね・・上記の皆さん、皆ワーグナーと関わりがある感じですね。

では、1898−99に建設された、ワーグナーの「マジョリカハウスとメダイヨン館」を追ってみます。


マジョリカハウス

かなりアールヌーボー調です。

右がメダイヨン館。キラキラしてます。
メダイヨン館

メダイヨン館ですが、強調する赤丸部分、間違ったかも(笑)本当は金色の丸いレリーフ部分が注目です。ここにはてかってしまって上手く撮影できていないのですが、コロマン・モーザーの作った女性のレリーフが入っているのです。。。赤い丸の部分の彫刻も確かに注目しておくと面白いのですが、これはワーグナーの建築の特徴の1つ?で、郵便貯金会館にもにたようなガーゴイル風といいますか、建物の守護天使風といいますか、似たような女性の彫刻が屋根についているのですよね。何なのでしょうね、この女性像は。ご存知の方は、どなたか教えて下さい。

で、これを最初に見たので、ワーグナーって結構装飾的だな・・と思い込みました(だんだん合理的になっていくのに)そして、すぐ近くにある、ワーグーナー建築の1つ、地下鉄駅 ketten brucken gasse を利用したのにもかかわらず、、写真を撮り忘れました。こちらの駅はアールヌーボーすぎるという事はなく、マジョリカに比べるとかなりシンプルな建物でした。

この駅にしても、集合住宅にしても未だ現役。100年以上経過してるのにですよ。日本だと、東京駅の開業が1914年ですから、15年程、マジョリカハウスの方が早いことになりますね!そう考えると、普通に人が住んでるというのが本当にすばらしいですね。

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