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注目

何故抽象画が多いのか?「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」展

(現在は愛知と東京展は終了した展覧会の紹介ですが、記録のために書いています。今後、 兵庫県立美術館 に2026年3月25日(水)〜2026年5月6日(水)に巡回予定です) 写真左が 山崎つる子 、右が 宮脇愛子 の作品です。 今から70年ほど前、1950〜60年代に活躍していた女性の美術作家が、歴史の中に埋もれ消えかけていたのを再発見し、評価し直す意義深い展覧会「アンチ・アクション」展へ会期の終わり頃に行くことができました。(話がいきなりそれますが、チケット代金が2千円!びっくりな価格でした。価格高騰が美術館へも押し寄せているんですね・・) 実はこの展覧会、なかなか足が向きませんでした。実は一部の出展作家の作品に割と常日頃から接する機会が多く「もういいかな・・」と思っていたのもありますし、作品がほとんど全て抽象画であるので、お腹いっぱいになりそうだな、なんて偉そうに思ったこともありました。ですが、この展覧会は絶対に歴史的に意味がある行くべき展覧会であることは明白です。事実、やはり行って良かった・・と思いました。 展覧会は、中嶋泉というフェミニズム美術・ジェンダー研究家の1冊の書籍『アンチ・アクション』(2019年)に大きく依るところが大きい展覧会で、アンチ・アクション、というのは、当時流行していたアクション・ペインティングのムーブメントから色々な意味で弾き飛ばされた女性たちの抵抗の軌跡を意味するそうです。 出品作家の名前を見てみましょう。 「赤穴桂子(1924-98)、 芥川(間所)紗織 (1924-66)、 榎本和子 (1930-2019)、 江見絹子 (1923-2015)、 草間彌生 (1929-)、 白髪富士子 (1928-2015)、 多田美波 (1924-2014)、 田中敦子 (1932-2005)、 田中田鶴子 (1913-2015)、 田部光子 (1933-2024)、 福島秀子 (1927-1997)、宮脇愛子(1929-2014)、 毛利眞美 (1926-2022)、山崎つる子(1925-2019)」 (上の写真は作家たちの相関図。会場のハンドアウトや図も工夫されていた展示でした) この中で一番有名なのが草間彌生、次いで田中敦子、多田美波は公共建築にも携わっていましたね。芥川(間所)紗織、白髪富士子、毛利眞美、宮脇愛子は配偶者が著名人、夫婦共に...

オットー・ワーグナーのマジョリカハウスとメダイヨン館へ

(こちらの記事は旧ブログ:ロバと鳥の家、に掲載したものです)
実は、ウィーンについて最初に見たのが、ゼセッションではなく、このオットー・ワーグナー(ヴァーグナー)Otto Wagner設計のマジョリカハウスとメダイヨン館(1898−99に建設された)でした。現在も居住者がいる集合住宅です。

マジョリカハウス

マジョリカハウスは、アールーヌーボー風の絵が描かれています。オットー・ワーグナーって、、、ウィーン工房じゃなかったっけ?と、違います!覚え違いをしていました。クリムトが提唱した分離派に参加して、アールヌーボー調の建築物を建てだすも、クリムトと共に離脱し、近代建築的な合理的な空間作りへと転換していったそうです。

ちょっと頭の中の整頓が必要でした。。旅行前にこういうところをもっと復習しておけばよかったのですが・・

ということで、ちょっと分離派やウィーン工房界隈主なメンバーとざっとしたまとめを。生まれた順番に並べました。

●は分離派に参加
○はウィーン工房に参加
●○は上記の両方に参加

●オットー・ワーグナー(ヴァーグナー)Otto Wagner 1841-1918
専門:都市計画/建築 分離派に参加、たった2年で脱退。
「芸術は必要にのみ従う」(Artis sola domina necessitas)を提唱。装飾的なアールヌーボー調建築から出発し、合理性を重んじる近代建築へ転換、現在も彼の立てた建築物や地下鉄駅は使用されている。

●グスタフ・クリムト Gustav Klimt 1862 - 1918
ウィーン大学に納めた自身の壁画への批判事件の後、保守的なウィーンの美術界に対抗し、分離派を立ち上げ、ウィーンのモダンデザインへの道を開いた。

●ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ Joseph Maria Olbrich 1867- 1908
建築家。ワグナーの教え子。分離派に参加し、1898完成の分離派会館を設計する。41歳で早逝する。

○コロマン・モーザー Koloman Moser 1868 - 1918
本の装丁から家具デザインまでマルチに才能を発揮したデザイナー/画家。
ウィーン分離派に参加。ウィーン工房にをホフマンと共に設立。オットー・ワーグナーに好かれ、メダイヨン館の金色のレリーフを作ったり、アム・シュタインホーフ教会のステンドグラスや祭壇などを制作した。50歳の若さで亡くなる。今回の旅で、新たに好きになった作家がコロマンでした。

○●ヨーゼフ・ホフマン Josef Franz Maria Hoffmann  1870 - 1956 チェコ出身。ウィーン造形芸術アカデミー卒業。ワーグナーによりヨゼフ・マリア・オルブリッヒと知り合う。クリムト、オルブリッヒ、ホフマンは1897年にウィーン分離派を共に立ち上げ、分離派会館の内装を手がける。クリムト、ワーグナーはわずか2年で脱退したが、ホフマンは1905年まで脱退せず。1903年、コローマン・モーザと共にデザイン会社である、「ウィーン工房」を設立。彼らが手がけたブリュッセルの「ストックレー邸」は世界遺産。1932年に経営破綻ののち解散。

アドルフ・ロース Adolf Loos 1870 - 1933 チェコ出身
建築家。ドイツで学ぶ。ウィーンで活躍。ワグナーに薫陶を受け、建築は合理性を重んじるべきとし、「装飾は罪」と断言、装飾性は文化の低さを体現するものとし、分離派とウィーン工房を徹底攻撃した。自身の建築物が多くウィーン市内に残されており、現役で使われておりましたが、とりわけ「ロースハウス」は物議をかもしたそうです。ウィーンでまず見たいと思っていた建築物の1つが、実はこのロースの建物でした。このブログでも特集予定ですが、思ったより室内装飾は、装飾的でした。

1918年に3名も亡くなってますね・・これは全員スペイン風邪で亡くなったのでしょうか。オットー・ワーグナーの影響力たるやすごかったのですね・・上記の皆さん、皆ワーグナーと関わりがある感じですね。

では、1898−99に建設された、ワーグナーの「マジョリカハウスとメダイヨン館」を追ってみます。


マジョリカハウス

かなりアールヌーボー調です。

右がメダイヨン館。キラキラしてます。
メダイヨン館

メダイヨン館ですが、強調する赤丸部分、間違ったかも(笑)本当は金色の丸いレリーフ部分が注目です。ここにはてかってしまって上手く撮影できていないのですが、コロマン・モーザーの作った女性のレリーフが入っているのです。。。赤い丸の部分の彫刻も確かに注目しておくと面白いのですが、これはワーグナーの建築の特徴の1つ?で、郵便貯金会館にもにたようなガーゴイル風といいますか、建物の守護天使風といいますか、似たような女性の彫刻が屋根についているのですよね。何なのでしょうね、この女性像は。ご存知の方は、どなたか教えて下さい。

で、これを最初に見たので、ワーグナーって結構装飾的だな・・と思い込みました(だんだん合理的になっていくのに)そして、すぐ近くにある、ワーグーナー建築の1つ、地下鉄駅 ketten brucken gasse を利用したのにもかかわらず、、写真を撮り忘れました。こちらの駅はアールヌーボーすぎるという事はなく、マジョリカに比べるとかなりシンプルな建物でした。

この駅にしても、集合住宅にしても未だ現役。100年以上経過してるのにですよ。日本だと、東京駅の開業が1914年ですから、15年程、マジョリカハウスの方が早いことになりますね!そう考えると、普通に人が住んでるというのが本当にすばらしいですね。

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