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10月, 2016の投稿を表示しています

KIITSU 鈴木其一 江戸琳派の旗手展へ

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2016年10.20まで、東京六本木の サントリーミュージアムで開催中の「KIITSU 鈴木其一 江戸琳派の旗手」展 へようやく行って参りました。。。来週月曜迄のギリギリの閲覧&レポで(毎回この調子、、汗)恐縮ですが、おすすめです。 さて、 朝顔図屏風、夏秋渓流図屏風(後期展示)、風神雷神図襖 が見所でしょうか。。私、今迄に「夏秋渓流図屏風」は3回は見てると思います。。夏目漱石が論じたのでも有名でしたよね。琳派の枠に当てはまらない、奇妙な迫力を持った作品かと思います。やはり前期に行くべきだった、と今更リストを見て思いました(笑)毎回これ言ってます、、きちんと前期後期の出品リスト要チェックとメモを書いておくべきですね〜。 鈴木其一(1796-1858) 。江戸後期の琳派作家です。 松平定信の 寛政の改革で庶民は節約を強いられた直後の1796年に江戸で誕生。同時代の出来事としては、1796年には清で白蓮教徒の乱、アヘン輸入禁止、1798年は、ナポレオンのエジプト遠征。同年に生まれた人物としては、シーボルト。2歳年下に歌川国芳。浮世絵は後期の時代でしょうか。 鈴木其一は、似顔絵1つ残っていないそうです。彼が描いた師の酒井抱一の絵は展示されていました。出自に関しても、武家ではないかという説もあったりして、謎の多い作家です。朝顔図はアメリカの美術館にありますよね。アメリカ人はこの明解なデザイン性に惹かれる、という事をどこかで読んだように思います。この朝顔は、昼顔系の琉球朝顔みたいではないですか?もりもり咲いてるところとか、その色合いとか。 あとは、やっぱり琳派ってすごいな〜と。継承者たちは、縛りがなく、基本私淑からスタートしているのに、派を形成する迄に至るという影響力。クリムトも琳派の金地に大影響を受けたと言いますよね。うーむ、装飾芸術万歳!(彼らは装飾的な側面だけが魅力ではないですけど)アドルフ・ロースや禅の愛好者から殺されそう(笑)。 そんなことを思いました。週末に、是非どうぞ。 にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ 人気ブログランキング 美術鑑賞・評論 ブログランキングへ

MAK - ウィーン応用芸術美術館へ

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先月、ウィーンの MAK-応用芸術美術館 へ行ったときの感想です。 MAKは、工芸、建築など、応用芸術を扱う美術館です。常設展示は、アジアコレクションルーム(中国、日本、韓国)、カーペットの展示室(16-17世紀オスマン帝国時代のカーペットが中心、18世紀のフランスのSavonnerieのカーペットも。世界3大カーペットコレクッションに入るそうです。)、ロココ、バロックの家具コレクションルーム、アールヌーボーの家具の部屋(主にウィーンのもの)、レースの部屋、ウィーン1900年の部屋(アーツアンドクラフツを中心とした1890-1938年の応用美術、クリムト作品含む)といったところだったように記憶しています。 入り口を入ってすぐのホール アールヌーボーの部屋 アールヌーボーの部屋 影絵を利用した展示 アールヌーボーの部屋では、ウィーンで作られたトーネット(曲げ木の椅子)の展示が、影絵と、実物の両方から鑑賞できる美しい展示がなされていました。キュレーションがうまいですね! ウィーン1900の部屋 - ホフマンの分離派展示の為のキャビネット ウィーン1900の部屋では1900年代界隈の、セセッション、ユーゲントシュテール、アーツアンドクラフツの紹介がなされていました。ウィーンが世紀末美術で輝いていたころの展示室です。写真は、ウィーン工房を立ち上げた、 ヨーゼフ・ホフマン Josef Hoffmann 1870-1956 が、1898年第1回分離派展のアトリエのキャビネットとして作成した家具です。後にコロマン・モーザが所有したそうです。 ウィーン1900より、ロースの室内装飾 上の写真は、 アドルフ・ロース Adolf Loos の、 「Corner seating ensamble from the study of Mary and Gustav Turnowsky」1900年とありました。詳しい事情が分らないのですが、装飾を否定したのに、思ったより装飾的だと思ったのですが、どうでしょうか。ロースについては、アルベルティーナ美術館2階に展示室があるのでそこを見てから発言すべきかもしれませんが。。 ウィーン1900より、Eduard Josef Wimmer-Wisgrillの家具 上の写真は、私のメモ

ウィーン建築散歩ーユーゲントシュティールの壁画、エンゲル薬局

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エンゲル薬局 ENGEL APOTHEKE/エンゲル薬局 正式名称:Apotheke zum weißen Engel 住所: Bognergasse 9, 1010 Wien 薬局は17世紀より現存するウィーン最古のもの。壁面は 1902年に オスカー・ラスケ によるモザイク画が施された。 オスカー・ラスケのwikipedia(独語) Oskar Laske(1874-1951) オスカー・ラスケ はオーストリアの建築家、画家。 ユーゲントシュティール(アールヌーボー)の作家。 知らない作家だと思っていましたら、「 魔女の秘密展 」に版画が来ていたのを見ていたようです。 このサイト の方の記事で知りました。情報をこうして得られるのは、ありがたいことです。 調剤薬局だろうから、観光客は買い物することはできないだろうと、遠慮がちに撮影しましたが、実は買い物はできたらしいです。中には彫刻のようなものを施した壁があったり、美しかったです。勇気を出して何か買ってみたらよかったです。 にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ 人気ブログランキング 美術鑑賞・評論 ブログランキングへ

オットー・ワーグナーのウィーン郵便貯金局

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オットー・ワーグナー (1841-1918) の建築シリーズ、今回が最後です。 1906-12年のウィーン郵便貯金局 です。 「芸術は必要にのみ従う」(Artis sola domina necessitas) を体現した合理的な建物/内装です。マジョリカハウス、メダイヨン館、カールスプラッツ駅には、アールヌーボー的な要素がありましたが、郵便貯金局には特に内装にはその影が見受けられないように感じました。しかし、外観には古典的な要素はあると思いました。 屋根上に彫像があります。メダイヨン館にも彫像がありました。 上の写真で分るように、外壁に丸いビスのような意匠があると思います。これが現代的な印象を与えているように私は思いますが、どうでしょうか。 「非実用的なものは決して美しくなりえない」というワーグナーの言葉が。 この言葉、装飾の否定ともとれなくもありません。。アドルフ・ロースが彼を尊敬していたとあるので、このころには、すっかりマジョリカハウスを作ったことは否定していたりして。。。と思わせられました。 見応えありました。 この上の写真の内装を見ていると、北欧デザインの源流的な機能性を感じます。。 上の写真をみると、ちょっとアーツ&クラフツ調なものもあるような。。 と、駆け足で紹介してしまいましたが、これでオットー・ワーグナーの紹介はおしまいです。最後に、すごく彼の作品が好きになってしまったのは自分で少し意外でした。装飾的〜合理的への変遷がたどれたのがとても興味深かったのです。郵便貯金局は、MAK(ウィーン応用美術館)からも歩いて行けるので、個人的には大変おすすめです。 にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ 人気ブログランキング 美術鑑賞・評論 ブログランキングへ

オットー・ワーグナーのアンカーハウスとカールスプラッツ駅

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前回に引き続き、 オットー・ワーグナー(1841-1918)の建築 です。 建設年順に載せればよかったのですが、前後してしまいました。 順序としては、 1895年 アンカーハウス 1898年 マジョリカハウス 1899年 カールスプラッツ駅 1907年 アム・シュタインホーフ教会(行けませんでしたので、写真はありませんが) 1906-12年 郵便貯金局 です。 で、 1895年のアンカーハウス です。夜の写真ですみません。見づらいですね。。今は下にFOSSILが入っていて、現役でした。 1895年 アンカーハウス 1階はガラス貼りで、モダンだと思うのですが、上層部は古典的ですよね。少しチグハグな感じでしょうか・・?モダンへの移行へのためらいのようなものが感じられる気がしました。ですが、昼間見ますと、また違った雰囲気で、このちぐはぐさがカッコイイ!とも思えました。100年以上昔の建物に、このように現代のアパレルショップが入っているというのが興味深いです。 1899年 カールスプラッツ駅 マジョリカハウスの1年後 に立てられた、 カールスプラッツ駅 です。マジョリカとの装飾的親和性のようなものを感じます。アールヌーボー調ですよね。中は、ワーグナーの資料の展示がされています。小さいです。(有料)。ショップ併設でこちらは無料で入れます。 対となる建物はカフェです。 ペールグリーン&ゴールドの組合せが素敵です。ゴールドはやはり分離派界隈メンバーには欠かせない色なのかしらと思いました。クリムトのゴールド、そして意外なところでは、ロースもマンツ書店のロゴは金色で着色していました。世紀末的でいいですね。 あとは、 郵便貯金局 の建物でワーグナー特集は終わりの予定です。 アムシュタインホーフ教会は郊外にあり、交通不便な様子でしたので、今回は行きませんでした。次回の楽しみにとっておきます。 にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ 人気ブログランキング 美術鑑賞・評論 ブログランキングへ

オットー・ワーグナーのマジョリカハウスとメダイヨン館へ

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実は、ウィーンについて最初に見たのが、ゼセッションではなく、この オットー・ワーグナー(ヴァーグナー)Otto Wagner設計のマジョリカハウスとメダイヨン館 (1898−99に建設された)でした。現在も居住者がいる集合住宅です。 マジョリカハウス マジョリカハウスは、アールーヌーボー風の絵が描かれています。オットー・ワーグナーって、、、ウィーン工房じゃなかったっけ?と、 違います! 覚え違いをしていました。クリムトが提唱した分離派に参加して、アールヌーボー調の建築物を建てだすも、クリムトと共に離脱し、近代建築的な合理的な空間作りへと転換していったそうです。 ちょっと頭の中の整頓が必要でした。。。旅行前にこういうところをもっと復習しておけばよかったのですが。。 ということで、ちょっと分離派やウィーン工房界隈主なメンバーとざっとしたまとめを。 生まれた順番に並べました。 ●は分離派に参加 ○はウィーン工房に参加 ●○は上記の両方に参加 ●オットー・ワーグナー(ヴァーグナー)Otto Wagner 1841-1918 専門:都市計画/建築 分離派に参加、たった2年で脱退。 「芸術は必要にのみ従う」(Artis sola domina necessitas)を提唱。装飾的なアールヌーボー調建築から出発し、合理性を重んじる近代建築へ転換、現在も彼の立てた建築物や地下鉄駅は使用されている。 ●グスタフ・クリムト Gustav Klimt 1862 - 1918 ウィーン大学に納めた自身の壁画への批判事件の後、保守的なウィーンの美術界に対抗し、分離派を立ち上げ、ウィーンのモダンデザインへの道を開いた。 ●ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ Joseph Maria Olbrich 1867- 1908 建築家。ワグナーの教え子。分離派に参加し、1898完成の分離派会館を設計する。41歳で早逝する。 ● ○コロマン・モーザー Koloman Moser 1868 - 1918 本の装丁から家具デザインまでマルチに才能を発揮したデザイナー/画家。 ウィーン分離派に参加。 ウィーン工房にをホフマンと共に設立。 オットー・ワーグナーに好かれ、メダイヨン館の金色のレリーフを作ったり、アム・シュタインホーフ教会

ウィーン、馬車博物館に圧倒される

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ウィーン13区にある、 シェーンブルン宮殿 は、ウィーン観光のハイライトの1つですが、宮殿の敷地内には、動物園や庭園、 馬車博物館( Kaiserliche Wagenburg ) などがあり、その敷地はなかなか広大です。シェーンブルン宮殿内部も見学しましたが、そちらは記事にされる方も多いでしょうから、私は行きたいと思っていた馬車博物館について書こうと思います。家族のリクエストで動物園にも行きました。そう、1日で宮殿内、馬車博物館、動物園、グロリエッテ(見晴し台)全てをコンプリート致しました。しかも歩いて。頑張れば回れるものですね。 さて、馬車博物館は、これは是非みたいと、ガイドブックなどで見た時に思いました。その細工のすばらしさ、車博物館なら聞きますが、馬車専用の博物館なんて聞いたことない、見たい!と思いました。行って正解でした。馬車の豪華さが異常すぎる・・!!こんなの見た事ない!というゴージャスさに打たれました。60台ほどの馬車や興、馬具、衣装、絵画などの展示がありますが、小さい博物館なのですぐ見れます。お勧めします。 ルドルフ皇太子のそり 上の写真は、多分ルドルフ皇太子のそりだったと思います。かわいい?というより、黄金すぎてすごいなと。。クリスマスプレゼントで贈られたと書いてあった気がします。メモを取らずに見てしまいましたので、不正確かもしれません。ご容赦くださいね。 多分、上の写真の黒い馬車は、シシィの旦那様フランツ・ヨーゼフが亡くなったときの、葬儀用馬車だったと思います。シシィの喪服の展示もありました。この馬車、写真が小さいのでその迫力をお伝えするのは難しいと思いますが、、とにかく、大きい!そして怖いくらい真っ黒でした(葬儀用なので当たり前ですが、、漆黒!でした)夢に出てきたらうなされそうな迫力がある馬車でした。私は、この馬車が一番印象に残りました。 1735年製のシシィの戴冠式パレード用馬車 上の黄金の馬車は、ガイドブックにも出ているので1735年製というのは正確かと思いますが、シシィのハンガリーでの戴冠式に実際に使用された黄金の馬車だそうです。豪奢で華奢で、、シンデレラに出てきそうなおとぎ話の中のコーチでした。 馬車をひく、馬達の衣装もありました。関連絵画の展示

映画「グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状」が公開されます

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ウィーン美術史美術館 改装舞台裏のドキュメンタリー映画である、 「グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状」 が 2016年11月26日より公開 されるそうです。 ウィーン美術史美術館は、先月念願かなって行ってきたところですので、私的には大変タイムリーな公開となりました。今年で創立125周年なんですね。映画の内容は、美術館生き残りをかけた改装のバックステージだそうです。アムスのときの映画とちょっと似てますね(アムスは市民団体ともめたのでもっと大変な内容でしたが。。) 映画がとても楽しみです・・!! 映画公式サイト ウィーン美術史美術館公式サイト にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ 人気ブログランキング 美術鑑賞・評論 ブログランキングへ

ウィーン造形美術アカデミー絵画ギャラリーへ

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黄金色のセセッション/ゼセッションから歩いてほどなく、1692年に設立された美術大学(アカデミー)があり、学校付属のギャラリーが有料で公開されています。この建物、アカデミーなの!?と驚くほどの、地震がない国ならではの、豪華な古い石の建造物で、すばらしい学び舎でした。 この学校は、シーレやオットー・ヴァグナー、フンデルト・ヴァッサーらの卒業生を輩出した伝統校ですが、ギャラリーでは主に中世〜近世を展示していました。このギャラリーはとてもすいていて、ゆっくり落ち着いて鑑賞できます。向かいには公園もあり、大変くつろげるギャラリーでした。お土産類は充実していません。荷物は返金式ロッカー、写真撮影は、有料、4ユーロ程?だったでしょうか、お金を払い、ステッカーを渡されるので、それを服に貼っておくという感じでした。後日知ったのですが、作品は撮影しなくても、造形芸術アカデミーには、 オンラインのすばらしいバーチャルミュージアム がありますので、そこで楽しむのもありですね。 天井も手抜きなく豪華です。。 3階まで登ります〜 ティエポロ ボッティチェリ、ボッシュ、ティツアーノ、ティエポロ、ルーベンス、レンブラント、ムリリョ、クラナッハ、イサーク・ロイスダール、ピーテル・デ・ホーホ 、などなど 。。 オランダ黄金期の作家達は結構充実していました。作品表記に英語がないのが残念でした。まあ、これだけを8ユーロで観れれば文句は言えないです。以下、私が知らなかった作家、気になった作品をランダムにあげていきます。(ほとんど私の記憶の整理の為ですね。。) 上のアダムとイヴの絵画、動物が配置されたランドスケープ的要素もあり、気になった作品の1つです。B Monogrammist (Joos de Beer?)1576頃作と表記されていました。B Monogrammistとは、 Brunswick Monogrammist  で16世紀中頃〜後期にかけてオランダで活躍したとされる、「匿名作家」の名前で、そのあとに、 Joos de Beer ?とあるので、ユトレヒト出身の Joos de Beer 作なのか、どちらか分らない作品という事なのだと思います。B Monogrammistは、ピーター・ブリューゲル(父)に先立つ重要な作家という位置づけらしいです