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江戸の絶景 雪 月 花 展へ

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2017年2月3日(金)~3月26日(日) 前期:2017年2月3日(金)~2月26日(日) 後期:2017年3月3日(金)~3月26日(日) ※前後期で展示替え 2月6、13、20、27日~28日/3月1~2、6、13、21日は休館。 午前10時30分~午後5時30分(入館は午後5時迄) 原宿にある、 太田記念美術館 で開催中の 「 江戸の絶景 」展 へ行ってきました。太田記念美術館は、個人が建てた浮世絵専門の美術館です。原宿という若者の街にありますが、実は 東郷神社 も近くにあり、意外に和の空間が界隈にあるというのも興味深いです。そして、実は英語の解説が充実している美術館でもあります。テーマだけではなく、個々の作品の英語解説もあります。そこまで広くないので、入館料もお安めです。外国からのお友達を案内するのにも良いかと思います。作品リストはなぜか出ていないのですが、受付の方に言えばもらえます。(こちらは日本語のみ) さて、「江戸の絶景」は、 江戸後期 に地誌が刊行され、各地の絶景が庶民に紹介され始めたことから、次第に浮世絵の人気のテーマとなっていったそうです。上のポスター( 歌川広重「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」晩年作 )にもあるように、Go Proさながらの空撮風なアングルのものがあったりして、一体どうやって想像して描いたのかな〜と思わせるものもいくつかありました。 展示は 「雪」「月」「花」「山と水辺」「寺社」 の5つのテーマに分類されています。前期後期の展示入れ替えがあり、 上のポスターの広重のものは、前期のみの公開 です。ご注意ください。出品作家は、 歌川広重がメインで、あとは葛飾北斎、歌川国芳、鳥居清長、渓斎英泉 などでした 。 各地の様々な絶景、景勝地、名所の浮世絵を見て回るうちに、江戸の人々は、富士山が大好きだったのだなあと思いました。それくらい、富士山が図の中に入っているものがいくつかありました。東海道新幹線に乗っているときに、富士山が見えたらなんとなく嬉しい気持ちになる我々現代人と同じではないかなと思いました。 讃岐、阿波、木曽路、備前等々、日本各地の名所や絶景の浮世絵もありましたが、江戸の名所絵が中心だったように思います。詳しく見るうちに、いろいろな発見があり、面白く拝見できました。例えば、品川の御殿山は花

オルセーのナビ派展 ー美の預言者たち ささやきとざわめき

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三菱一号館美術館にて、2017.2.4から5.21まで (月曜休館) ナビ派展公式サイト オルセー美術館収蔵のナビ派絵画がたくさん東京に来ていますので、早速行ってまいりました。(写真は、許可を得て撮影しています) ナビ派(Les Nabis)とは、1890年代に、パリのアカデミー・ジュリアンの学生達の間で生まれた、ポスト印象派の前衛美術家集団です。 ナビ派は、緩やかな作家の集合体というよりは、かなり結束力のある「グループ」だったと言えるのではないでしょうか。 ナビ、とはヘブライ語とアラビア語で「予言者」 を意味していて、20世紀美術の予言者である、という想いを込めた意味なのでしょうか。その意味は、 「全員ひげ面、そのうち幾人かはユダヤ系、そして全員ものすごくまじめな人柄」(=ユダヤ教の予言者風) であるという一種のニックネームでもあったという説があるそうです。このナビ派グループの最大の特徴は何か?というと、当時のメインストリームであった写実主義の否定から生まれた、 絵画の装飾性に肯定的な、画題に内面性(ナビというだけあって、宗教的絵画含む)を追究した絵画グループ、 と言ってもよいでしょうか。 メンバーは11名ほどでしょうか、 三菱一号館美術館のサイトにイラストで顔が描かれたとてもわかりやすい解説 があります!面白いのでぜひご覧ください、大変オススメです。 同柄の図案が入るオリジナルトートバッグも販売されているようです。 ポール・セリュジエ ピエール・ボナール エドゥアール・ヴュイヤール モーリス・ドニ ポール・ランソン ケル=グザヴィエ・ルーセル ジョルジュ・ラコンブ ヨージェフ・リップル=ローナイ のちに、ジュリアンの学生ではない以下のメンバーも加わります。 アリスティド・マイヨール フェリックス・ヴァロットン ジャン・ヴェルカッド (こちらは今回来日作品なし。英語版wikiによりますと、ナビ派のメンバーであったことは間違いないようです) そして、これらのメンバーの結束のきっかけとなったのが、 ポール・ゴーギャンと若き ポール・セリュジェの出会い でした。ゴーギャンに指導を仰いだセリュジェは、 「好きな色で木の色を塗って何が悪い」 と当時の自然の再現芸術的な傾向にアンチを唱える彼に薫陶を受け、「タリスマン(護符

瑛九 - 闇の中で「レアル」をさがす 展

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2017年2月12日まで、東京国立近代美術館ギャラリー4にて開催されていました。 フォトデッサン集「眠りの理由」1936年より フォトグラム、コラージュ、ペインティング、様々な作品を残した、宮崎県生まれの美術作家、 瑛九(えいきゅう 本名:杉田秀夫1911-1960) の展示を観てきました。 「デビュー前後の3年間、20代半ばの若き芸術家の苦悩を作品と手紙でたどる」とありました。友人の画家、 山田光春 宛に送られた書簡からは、手紙ならではの生々しい雰囲気がただよってきており、幾分現代人には判読が難しい箇所もありつつつも、だいたい読み解くことができる内容でした。 瑛九は、25歳の時に、写真印画紙の上に、さまざまなオブジェを配置し、光を感光させ、現像するという事で像を得る「 フォトグラム 」という技法を用いた「 眠りの理由 」という作品集で芸術界にデビューします。作家本人は 「フォトグラム」ではなく、「フォト・デッザン」 と称していました。それは有名なフォトグラムの先駆者、マン・レイの手法とは異なり、ネガは用いず、自分が作成した人の形をした型などを用いたため、フォトグラムとは差別化をはかるため、フォト・デッサンと称したのだと思われます。 彼は、「眠りの理由」の中で、当時の人々に迫る、機械化の波やそれにともなう生活の変化へのとまどいといったものを、作品の中で表現したかったようなのですが、批評家からは、彼が思っていたような「 内容に関する考察や批評 」はなく、ひたすらマン・レイらの前衛的な手法との関連性や比較などといった批評が相次いだため、瑛九はすっかり嫌気がさしたようです(書簡にもそのような記述がありました。)そして、フォト・デッサンの作品は作るのをやめ、次作はコラージュによる「 レアル 」(リアル)というナゾかけのような題名の作品を発表します。 「レアル」よりコラージュ作品 - 1937年 「オレはアカデミックじゃなく、チンピラでありてえ」みたいな事が手紙に書いてありました(笑)インテリはわかっちゃいない、といったような記述も何回か目にしました。宮﨑の眼科医の裕福な家に生まれた訳ですから、到底チンピラは無理だと思うのですが、野生児でありたい!と望む野心的な作家の心境は、何となく想像できるような気もします。ただ、瑛九には悪いのですが、個

マリメッコ展へ

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Bunkamura ザミュージアムにて、2017年2月12日まで開催された展覧会「 マリメッコ展 デザイン、ファブリック、ライフスタイル 」へ行ってきました。展覧会終了後のレポで恐縮です(汗)全国を回っており、3月4日からは、新潟で開催されるそうです。 展覧会終盤にでかけたのにもかかわらず、会場はかなりの人数でした。 マリメッコ社は 1951年にアルミ・ラティア という女性創業者によって興されたテキスタイル中心のフィンランドの会社です。特に女性に人気があり、渋谷の会場でもそのほとんどが女性客でした。創業期のスターデザイナー、 マイヤ・イソラ による「ウニッコ」(ケシの花、上のチラシに使われている花のデザインがウニッコ)という大胆で目を惹く花のデザインが特に有名ですが、他にもたくさんのデザイナーによる作品があり、布だけではなく、洋服から雑貨小物まで幅広い商品を現在は展開しています。 二度の売却 を経るという、ビジネス上の変遷があったのは知りませんでした。 当初、フィンランドには、明るい色彩の布地はなく、マリメッコのデザイナーによって、色彩革命がフィンランドに起こったと説明がありました。白夜の厳しい長い冬を乗り越えるのに、明るい色彩が必要なのは理解できますが、それがデザインの世界にもたらされたのは案外そう昔の事ではないのですね。ドイツやロシアという大国に挟まれた、厳しい時代がフィンランドにはあったのだろうな、と想像しました。 日本人デザイナーも早くから起用されています。 1940年代生まれの、脇阪克二、石本藤雄 の2人です。脇阪克二は、現在SOU SOU(ソウソウ)という服飾テキスタイルブランドを京都にて展開しており、ユニクロともコラボ商品があったので、目にした事が有る人も多いと思います。時代を超越する、というのは、マリメッコのデザイン理念の1つですが、 昔の脇阪さんの写真、丸メガネで、まるで最近のおしゃれ男子のようで、いでたち時代を超えている雰囲気があるのは驚きです。 ヘイルヘルマ(1959年、ヌルメスニエミデザイン) さて、マリメッコは布地のデザインばかりが有名と思われがちですが、創業当初から、服作りにも力を注いでいたことがよくわかる展示でした。 ジャクリーン・ケネディが購入した「ヘイルヘルマ」1959年 ( ヴォッコ・ヌルメス