ジョルジョ・デ・キリコ-変遷と回帰 @パナソニック汐留ミュージアム
2014.10.25-12.26(金)までー水曜休館、ただし12月3、10、17、24日は開館。
web内覧会に参加してきました。パナソニック汐留ミュージアムといえば、ルオーで有名ですが、今回は初のルオー関連以外の展示とのことです。作品の8割が、日本初公開、初期(1915)〜晩年(1976)までの作品を素描、ペインティング、立体、亡くなる1年前のインタビュー映像に至る、計104点の網羅的な展示内容でした。作品は、キリコ夫人、イザベッラの旧蔵品が多く、展示補足の写真と併せて注意深く見ると、確かにキリコの私邸に同じ作品が展示されていたり、家具が同じだったりするという楽しい発見もあります。
私個人と、キリコの最初の出会いは、子供の頃に教科書で見た「通りの神秘と憂愁」(1914)でした。(当時は「街の神秘と憂愁」と翻訳されていました)。長い影、2つの消失点、空気遠近法のないどこまでもクリアで永遠に続くかのような回廊の町並み。この絵の中に入りたいと思わせるような、不思議な世界。シュールレアリストに影響を与えたといわれる、形而上絵画の傑作のうちの1つが「通りの神秘〜」だと思います。今回の展示では、1913−14年頃のキリコの20代の作品をもっと見たかったのですが、10年代の出品は4点のみで、その点は残念でした。意外な収穫は、キリコのブロンズ作品がかなりよかったという点です。マネキン、馬といった平面作品に繰り返し用いられてきたモチーフが立体化しているのは興味深く、クオリティも高いと思いました。
特記しておきたいのは、キリコのモチーフの1つである、装飾を排したそっけないアーケード=イタリア広場は、サヴォイア家が、意図的に装飾を排し、碁盤の目状に作ったトリノの町並みから想起されたものであるという事です。一般的なイタリア広場をキリコのイメージで無機的ともいえる町並みに脳内変換したものかと思いきや、違うのですね。また、トリノはキリコが影響を受けた、ニーチェが愛し、そこで発狂した街でもある点も大切かもしれません。(迷子になりそうで怖いですが、トリノには一度是非行ってみたいと思いました。でも夜の一人歩きは絶対無理ですね。。通りの神秘〜の影の巨人が出てきそう。。笑)
また、キリコは若くして形而上絵画で成功し、その後、古典主義に回帰するのですが(展示を見ると、決して形而上絵画を捨て去った訳ではないと分ります。また、古典への回帰ではなく、古典の吸収であるようにも思います)、晩年にまた、形而上絵画へ戻ってくるのですが、この晩年に、かなり初期作品の描き直しを複数回行ったことによる、贋作問題の裁判沙汰に悩まされたというエピソードも知りませんでした。展示の「Ⅵ 再生ー新形而上絵画」のコーナーでは、「吟遊詩人」、「不安を与えるミューズたち」が各2作づつ展示されているのですが、「吟遊詩人」のタブロー裏面には、自筆で「これは私、キリコが本当に自分で描きました」といった記述があると学芸員の方に教えて頂きました。若くし成功を手にしてしまった作家ならではの、苦労が垣間見える気がしました。
展示には表記されていませんでしたが、贋作問題の他にも、カルロ・カッラとの形而上絵画の創始者は誰かをめぐる確執など、単なる平坦で穏やかな人生ではなかったと思われるキリコの人生の別の側面も知っておくと、また違う深みのある理解につながるのではないかと思いました。
作家、あるいは人間は、自分の行きてきた道からの影響から逃れることはできないし、またそれを表現せざるを得ないのだなと思わせる、回顧展的な、よい展覧会でした。キリコの展示は東京では10年ぶりとのこと、是非、お出かけ下さい。
(最後に、キリコ作品は、キリコ財団がコピーライトの管理を厳しく見守っているため、ウェブ上であっても無断で作品の記載はできないとの事で、内覧会でも撮影は禁止でした。思えば、キリコは78年に亡くなっていますので、未だ死後50年たっていない訳で、パブリックドメインにもなっていないので当然といえば当然ですね。そういう訳で作品画像はありません。)