勝川春章と肉筆美人画
出光美術館
2016.2.20-3.27
終わってしまった展覧会レポで恐縮です。
<みやび>の女性像、というサブタイトルがついています。確かに女性万歳な美しい肉筆画の数々でした。会期終了間際に行ったせいか、人も多く、若干込み合っていた館内。そして出光といえば、つい先日、出光夫人の夏樹静子さんの訃報がありました。話がそれますが、夏樹静子さんの本では、(ミステリーではないのが恐縮ですが、)「往ったり来たり (光文社文庫)」という本を特に、美術だけではなく、作家一般を目指す女性にお勧めします。主婦、そして母でもありながら、作品を書いて行く事、しかも、出光夫人ですから、お金には困っていない訳です。何もせず、有閑マダムとして人生おくることも出来た筈なのに、何故書き続けたのか、ということの一端が垣間見えるエッセイです。
夏樹静子さんの事をふと考えながら、出光美術館からのすばらしい眺めをみていました。(皇居のお堀を眺めつつ、お茶が無料で頂ける、素敵な空間が館内にありお勧めです。チケットを持っていないと入れませんので、その辺はご注意。)
さて、前置きが長くなりましたが、勝川春章(かつかわしゅんしょう 1726-92)です。役者絵が有名な作家ですが、晩年に肉筆美人画を多く残したそうです。師の宮川長春は一生肉筆画しか描かなかったそうですから、そういう意味では、晩年に出発地点を顧みた、とも言えます。江戸時代の美人画は、オリジナリティの追究というより、定型化したポーズ(上体を反らせた立ち姿など)や注文に応えるための工房制作などのためもあり、素人には、どの作家の作品か、かなり深く見ていないと分らないという面があると常々思っていました。美人達の顔が、不思議に同じように見えてしまったりするのですよね。定番に沿う事が良い事、お手本を写す事、というのがあるので、どうしてもそうなってしまうのでしょうね。しかし、葛飾北斎の美人画が1点展示されていましたが、これだけは、群を抜いて個性を放っているように見えました。やはり、北斎は違うのでしょうか。
さて、チラシの表にも載っている最晩年期の作品「美人鑑賞図 寛政2-4年(1790-92)頃」ですが、完成度の高い美しさを放つこの作品は、今回の展示の見所の1つでもあります。近年、この作品は、30歳近くも年下であった武家出身の絵師、鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)の多色摺木版画(錦絵)の「福神の軸を見る美人」を元絵としたことが判明したのだそうです。しかも、元絵より描き込みがすばらしく、完成度が高いのです。真似と考えると、現代的には著作権違反となりますが、これは江戸時代、日本画、浮世絵の世界には、真似はいけない!というルールはありません。むしろ、特定作家の図案帖などが作られ、構図やモチーフを踏襲していく事を推奨していた訳ですね。しかし、1818年に出版されたとされる「江戸方角分」(江戸の著名人たちの、who's whoとでも言うべき書籍)に「浮世絵 X 画家 ●」などの記号で、同じ絵師とはいえ、社会的には区分されており、画家の方が身分が上とされていたそうです。また、大田南畝「浮世絵考証」には、浮世絵(版画)より、肉筆画の方がランクが上という記述があるそうです。そのためでしょうか、展覧会の第二章「春章へと続く道ー肉筆浮世絵の系譜、大和絵師の自負」のコーナーにある、浮世絵版画の祖と言われる、菱川師宣作の「秋草美人図」には、「日本絵」との記述が向かって左下のほうにあり、大和絵とのリンクを強調している作品がありました。これは、絵師の社会的に不安定な立場をかえって示唆すると考えられており、つまり、「私のルーツは大和絵にありますよ」という事をわざわざ強調することで、少しでも、社会的に優位にたとうとする作家の涙ぐましい努力がみられると思いました。
2016.2.20-3.27
終わってしまった展覧会レポで恐縮です。
<みやび>の女性像、というサブタイトルがついています。確かに女性万歳な美しい肉筆画の数々でした。会期終了間際に行ったせいか、人も多く、若干込み合っていた館内。そして出光といえば、つい先日、出光夫人の夏樹静子さんの訃報がありました。話がそれますが、夏樹静子さんの本では、(ミステリーではないのが恐縮ですが、)「往ったり来たり (光文社文庫)」という本を特に、美術だけではなく、作家一般を目指す女性にお勧めします。主婦、そして母でもありながら、作品を書いて行く事、しかも、出光夫人ですから、お金には困っていない訳です。何もせず、有閑マダムとして人生おくることも出来た筈なのに、何故書き続けたのか、ということの一端が垣間見えるエッセイです。
夏樹静子さんの事をふと考えながら、出光美術館からのすばらしい眺めをみていました。(皇居のお堀を眺めつつ、お茶が無料で頂ける、素敵な空間が館内にありお勧めです。チケットを持っていないと入れませんので、その辺はご注意。)
さて、前置きが長くなりましたが、勝川春章(かつかわしゅんしょう 1726-92)です。役者絵が有名な作家ですが、晩年に肉筆美人画を多く残したそうです。師の宮川長春は一生肉筆画しか描かなかったそうですから、そういう意味では、晩年に出発地点を顧みた、とも言えます。江戸時代の美人画は、オリジナリティの追究というより、定型化したポーズ(上体を反らせた立ち姿など)や注文に応えるための工房制作などのためもあり、素人には、どの作家の作品か、かなり深く見ていないと分らないという面があると常々思っていました。美人達の顔が、不思議に同じように見えてしまったりするのですよね。定番に沿う事が良い事、お手本を写す事、というのがあるので、どうしてもそうなってしまうのでしょうね。しかし、葛飾北斎の美人画が1点展示されていましたが、これだけは、群を抜いて個性を放っているように見えました。やはり、北斎は違うのでしょうか。
美人鑑賞図(1790-92) |
さて、チラシの表にも載っている最晩年期の作品「美人鑑賞図 寛政2-4年(1790-92)頃」ですが、完成度の高い美しさを放つこの作品は、今回の展示の見所の1つでもあります。近年、この作品は、30歳近くも年下であった武家出身の絵師、鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)の多色摺木版画(錦絵)の「福神の軸を見る美人」を元絵としたことが判明したのだそうです。しかも、元絵より描き込みがすばらしく、完成度が高いのです。真似と考えると、現代的には著作権違反となりますが、これは江戸時代、日本画、浮世絵の世界には、真似はいけない!というルールはありません。むしろ、特定作家の図案帖などが作られ、構図やモチーフを踏襲していく事を推奨していた訳ですね。しかし、1818年に出版されたとされる「江戸方角分」(江戸の著名人たちの、who's whoとでも言うべき書籍)に「浮世絵 X 画家 ●」などの記号で、同じ絵師とはいえ、社会的には区分されており、画家の方が身分が上とされていたそうです。また、大田南畝「浮世絵考証」には、浮世絵(版画)より、肉筆画の方がランクが上という記述があるそうです。そのためでしょうか、展覧会の第二章「春章へと続く道ー肉筆浮世絵の系譜、大和絵師の自負」のコーナーにある、浮世絵版画の祖と言われる、菱川師宣作の「秋草美人図」には、「日本絵」との記述が向かって左下のほうにあり、大和絵とのリンクを強調している作品がありました。これは、絵師の社会的に不安定な立場をかえって示唆すると考えられており、つまり、「私のルーツは大和絵にありますよ」という事をわざわざ強調することで、少しでも、社会的に優位にたとうとする作家の涙ぐましい努力がみられると思いました。