アドルフ・ヴェルフリ展へ

アドルフ・ヴェルフリ[1864-1930]の、日本における初めての大規模な個展だそうです。関西からの巡回で、東京ステーションギャラリーで6月18日(日)まで開催中です。

「揺り籠から墓場まで」第4冊より1910年
(頭に十字架がはえた人物は自画像とのこと)

さて、ヴェリフリさんは、非常に不幸な生い立ちのもと、スイスで生まれ育ち、成人してから、女児への性的暴行(未遂含む?)を何度か犯し、35歳の時、統合失調症と診断され、精神病院に入ります。そしてその時から彼の作家人生が死ぬまで続きました。生涯に描いた数は25,000頁。すごい仕事量です。

統合失調症のせいだったのかもしれませんが、子供への性的暴行と聞くとかなり反社会的ですし、エッ!と思います。もし彼が現代の人だったら展覧会開催はかなり難しいのではないでしょうか。

「地理と代数の書」第12冊 1914年
(音符部のみ拡大しています)

死後、80年以上経ってこうして初めて日本で個展を開くほどになった訳ですが、作品はすごいです。確かな才能があります。絵画的というより、デザイン的です。そして、上の写真にあるように、音符が頻出して描かれますが、音楽に関心が深かったのかどうかはわかりません。米国のアウトサイダー作家の王者、ヘンリー・ダーガーをふと思い出しますが、作風はかなり違います。ただ二人とも、壮大な物語作品を作っている点が奇妙に一致するんですよね。不思議です。(一番上の写真は、壮大な自伝「揺り籠から墓場まで」の一部)

ヴェルフリが繰り返し用いた「形態言語」が研究されています。上の音符の図の中に、白い鳥のようなものが描かれていますが、これは「フォーゲリ」という名前で、彼の守護天使的な存在とされているようです。

クリックで拡大します

アウトサイダーアート」とは、正規の美術教育を受けていない人のアートを意味しますが、そういうふうにカテゴライズするのは、純粋に見て考えたり、楽しんだりすることの前には、まるで意味がない気がします。何のために「アウトサイダー」というのでしょうか?評論家や美術史家が論じやすくするためでしょうか?それとも、正規の美術教育を受けた人にとって教育を受けたことというのが、既得権益となりうるからでしょうか?「アウトサイダー」と聞くたびに、大変虚しい思いが沸き起こりますが、皆さんはどう思われるでしょうか。

ヴェリフリにとって、描くことは救済だったのでしょうか。わかりませんが、紙を与えられると取り憑かれたように鉛筆で描いていたそうです。もっと幸せに生まれていたら、描くことはなかったのか、それについても知る由もないわけですが、芸術とは一体なんなのだろうなとふと考えさせられました。


一見の価値ありです。


アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国
東京ステーションギャラリー
【休館日】月曜日
【開館時間】10:00 - 18:00
※金曜日は20:00まで開館
※入館は閉館30分前まで

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