東博「琉球展」〜神猫、ノロなど
ご無沙汰しています。最後の投稿が、コロナ前でしたので、2年半ほど休筆していたことになります。巷ではNOTEが主流でブログという形式がオールドメディアになりつつあり、継続を迷いましたが、自分の記録としてここで再開することにしました。
最初のカムバック投稿は、東博の「琉球展」です。開館150周年の節目、今年が沖縄復帰50周年というダブル節目の展示だったと思います。
さて、「琉球展」ですが、色々と不勉強で知らないことがありました。
以下、今回新たに私が知ったことを感想を交えて書いていきたいと思います。まずは、琉球王国を統治した王家の名前は「尚(しょう)家」というそうです。家紋は「左巴紋」(ひじゃいぐもん)。左巴紋の家紋は他にも土方歳三も用いていたとか。目を惹く家紋です。
第二尚家の家紋「左巴紋」 |
琉球王国は、距離的にも中国との結びつきが強く、冊封使という中国からの使者が1663年に沖縄に来ており、結果、中国の臣下という扱いになりその代償として、さまざまな庇護を受けていたようです。その冊封使を迎え入れる様子を描いた「琉球来聘使登営図」に描かれている中国側が掲げる「旗」の虎の絵が気になりました。
琉球来聘使登営図-東京国立博物館所蔵 |
「虎図」ー第2尚氏時代、19世紀 |
上の図も展示されていました。東博収蔵の作品です。前脚をクロスし、尾を立てているのが、長崎や朝鮮の虎図と共通した特徴だそうです。デフォルメされた目や口が琉球的な描画だと解説にありました。琉球来聘使のはたに描かれている虎もそうですが、コミカルで大変愛らしいと思いました。(シーサーの目に似ているようにも思いました)
また、下の「神猫図」も展示されていました。山口宗季(唐名:呉師虔 1672~1743年)という福建に留学した琉球王国の絵師の作です。
神猫図 1725年ー那覇市歴史博物館蔵 |
ノロ - 岩波書店「沖縄文化の遺宝」より。 (パブリック・ドメインによる写真) |
展覧会の第4章「しまの人びとと祈り」では、琉球の最高聖地にして世界遺産の「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」についての展示がありました。御嶽とは、琉球各地にあるノロと呼ばれる巫女が神のために仕え、琉球神道の様々な祭事を行う場所であり、男子禁制の聖地であるそうです。展示を見ていて、思わずメモしてしまったのが、ノロの手に施された入れ墨の紋様です。
手の表側の入れ墨(ハジチ) |
調べたところ、色々なデザインの入れ墨があるようで、展覧会には詳しい説明がなかったように記憶していますが、既婚女性が手の表側に施していた模様のようです。護符としての意味があったとか。アイヌ女性や台湾の少数民族の人たちも手に入れ墨をしていたそうです。理由がうまく説明できないのですが、何故か手の甲の入れ墨の民族的、呪術的な意味に興味を惹かれました。
あと、ペリーは浦賀に来航する前に、琉球王国の首里城に来ていたとか。これも不勉強で知らなかった事実でした。色々新しく学ぶところの多かった展覧会でした。下記ランキングに参加しています。
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